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ハンカチーフは万年雪の底に(後編

「うち、いっそのこと万年雪の底で死にたいわあ」
「やめてよ」
「だって凍えれるんやで、なんか気持ちよさそうやん」
 その日の日差しがきつ過ぎたのだ。じんじんと痛むほど頬は焦がしていく太陽を恨めしそうに見たあと、幸子は唐突に言い出す。扇いでも扇いでも汗は吹き出るし、確かにもう、凍えてしまいたい気持ちは十分分かる。とにかくいま、現在、何か冷たいものが無性に欲しかった。
「それにや、ずっと昔の雪に埋もれるんやで。なんかロマンチックや思わん?」
「いや、でも死ぬとか、言わんといてよ、ロマンチックやけど」
「なんか、永遠になれる感じやない?」
「あ?、そんな気がする」
「やろ」
「でも、そんなんいわんといてよ」
「いやいや、人間、いつ死ぬかわからんでよ」
「おっちゃんですかあなた」
「いや、ほんまそうよ」
「そうやけどなあ」
 幸子がとても遠くに感じてしまう。こんなに近くにいるのに、同じ空気を吸っているのに、同じ風を受けているのに、全然違う場所にいるみたいに、遠く遠くにいるみたいに感じる。とても不安になって、幸子の目をじっと見る。幸子は目を遠くに空のほうに向けている。その目が澄んでいて、とても綺麗だった。私よりずっとしっかりしてて、兄弟も多く面倒見がいい彼女は、頼られて今まで生きてきた。
「あんな、ハル」
「何?」
「うち、あんたに出会ってよかったよ」
 こんなことを真顔で言う。だから幸子は偉大だと思う。私は所詮照れ隠しに明け暮れる日々で、
「何よ、いきなり」
「なんとなく、言うときたかったの、万年雪の底で死ぬ前に」
「その機会はないから安心ですわ」
「わからんよ?」
「もう、本気で怒るで」
「怒ってもいいんや、これが青春なんや」
「あはは、まったく」
 ずっと友達だ。なにがあっても私たちはずっと。うん。


 私たちの学校にも、他の学校と同じように(といっても他の学校の事はそんなに知らないのだけれど)、一年を通して、音楽会や運動会や映画鑑賞会など色々と行事があって、その中でも生徒達に人気があったのが美人投票だった。美人投票はまず学級ごとにひとり選んで、その次に学年、最期に全員で、と勝ちあがりみたいな方法で、一番の美人を選ぶというもので、最期の投票はとても盛り上がった。応援演説みたいなことをし出す子もいて、例え選ばれなくても、いや、変に選ばれないほうが楽しめた。クラスごとに、選ばれたものはおやつを奢らなければならない、という面白い決まりもあって、まあ、おやつは結局先生が用意してくれるのだけど、でも、みんな、おやつをたくさん食べれるから喜んでいたというよりは、毎年やっている伝統行事を今年も行えるということ自体が嬉しかったのだ。もちろんおやつは大好きなんだけど。つまりみんな盛り上がりたかっただけなのかもしれない。なんていったって思春期なんですから。
 その美人投票が今年は中止になる。という噂が立った。そりゃ当然だろうなと思う。音楽会も運動会もそんなことをしている場合でない、という理由で次々に中止になっていたし、だいたい戦争中に、美人である事なんて関係ない。贅沢は敵だ。だけど、やっぱり誰もが、あーあ寂しいな、と思っていたように、私も寂しかった。口にこそ出さなかったが、それは、その話題を話すとき、間が持たずすぐに終わってしまう事が意味していた。誰だってあまりに寂しい事には触れたくない。ずっと続いてたのにな。まあ、仕方ないけどさ。米兵め。米兵め。米兵め。と私たちは見たことのない敵を憎み罵った。罵ることで何とか気を紛らわせた。
 それが単なる噂で、やっぱり例年通り開催される、と聞いた時には、私も幸子も思わず悲鳴を上げて抱きあったし、やっぱり楽しい行事の一つだったから、誰もが嬉しがっていた。キミという、普段おとなしい子など、嬉しくて廊下を走り歌うように大声で学校中に伝えてまわり、先生から大目玉を食らっていた。要するに、みんなそれぐらい嬉しかったのだ。かなり大袈裟だというかもしれないが、人生捨てたものじゃないとさえ思えた。


 沖縄は要所として有効な場所である。そこを拠点に、日本へ、中国へ、アジアへ、進行することができる。だからまず、次第に劣勢になる日本を、徹底的に打ちのめす為に、米軍は沖縄を占領する必要があった。
 日本としても、本州に進行する米軍に十分対応できる準備を整えるためにも、沖縄で足止めを食らわせたかった。沖縄で食い止めている間に対米の防御体制を築けると考えていた。この時点でもまだ、ほんの一握りの者以外日本の勝利を疑っているものはいなかった。
 いわば沖縄は、捨て駒にされたわけだ。日本の勝利の為なら沖縄ぐらい。そもそも日本でなかったわけであるし、日本になったのはごくごく最近だ。だから、捨て駒として使う、そうしやすい場所であった。そのための準備も着々と整えられていた。
 そして米軍が沖縄に上陸を開始する。


 美人投票は当日は、背の高いさとうきびがなんだかやけに揺れていた。
 単に風が強かったからで、だけど、風の強いのはいつものことだったし、さとうきびが揺れるのもいつものことだったから、私は特に気にも止めなかった。ただ、いつもよりいっそう強い気がして、うわあ、今日は風つよそうやなア、と寝ぼけ眼で驚いてしまった。そして、ああ、今日は美人投票だなあ、誰に決まるのかなア。
 寮での朝の忙しなさはいつもと同じで、私は寝坊をしてしまったし、幸子は櫛がない、といって騒いでいたし、薄いお粥を食べて、あんみつなんかをおなかいっぱい食べたいなア、とかぼやきつつ幸子と学校までの道を走った。学校は全寮制で、私たちはすぐ近くの寮で生活していた。「今年は新入生の子は綺麗な子が多そうやからね、わからへんわ」「そうやなあ、は組の栄子さんなんかどう?」「ダメダメ、あの子、椅子に座るとき、よっこらへ、って言うから」「よっこらへ?」「そうそう、この前自然によっこらへって」「あはははっは」「あははは」とか笑いながら私たちは寮から学校へ、そして、廊下をささささと控えめに走り、教室の扉を勢いよく開けた。ガラガラという音がやけに大きく聞こえた。
「おはよー」その挨拶だけがこだまするように、教室はいたって静かだった。美人投票のための投票箱や、誰が候補になっているかが黒板に書かれていることもなかった。投票箱の替わりに、普段時間がすぎてもなかなか教室にやってくることはない三段先生がすでに立っていた。先生は、事態を飲み込めない幸子と私を見て「席に着け」と小さく言った。そのひときわ小さな声でさえどこまでも響いていきそうだった。いつもだったら、こんな風に遅刻したらきっと笑い声に包まれているに違いないのに、誰もおしゃべりしていないし、笑ってもいない、教室の空気は張り詰めていた。
 しばらくして、厳しい表情で先生がクラスメイトの名前を読み上げる。動員命令だった。生徒の誰もが表情はなかった。最初は何のことか分からなかった。動員て?と幸子は前後左右の子に尋ねた。誰もが死んだように動かなかった。だって、三重にに嫌な事が起こったんだから。美人投票がなくなったから。戦場に行かなければならないから。卒業式は延期、もしくは中止だろう。一瞬にして不幸のどん底みたいな気分になった。そりゃ、射撃訓練はしていたし、天皇様のために戦うことは喜ばしいことだけれど、けれど、けれど実際私たちまで、戦う事になって日本は大丈夫なのでしょうか。とはいえ、君たちの役割は負傷兵の看護、食事作り運び、水汲みなどの雑用係だ、と三段先生は説明され少しほっとした。まあ、最前線でなく、後ろのほうで兵隊さんのお手伝いをするのかあ、と少し安心した。大丈夫、兵隊さんがすぐに米兵なんて追っ払ってくれるから、日本軍の兵隊さんは恰好よくて優しいんだから、そう信じていたからこそ、誰も悲観せずに動員を受け入れることができた。というよりも、そうやって自分を無理やり納得させた。

 すぐに実家に帰る。両親は家にいて、すでに話を聞いているのだろう。準備をしていてくれた。父がなんとなく寂しそうにしていたので私は陽気に言う。
「あたしだってぶっ倒したるよ、射撃訓練だってしてるんやから」
「女の子がぶっ倒したるなんていう言葉使っちゃいけません」
 母が口を酸っぱくして言う。
「そんなんええやん。女の子やからとかいうとる場合違うし」
「理屈だけは立派なんやから」
「へへへ」と笑うと、
「ハル、気をつけろよ」と黙っていた父がつぶやいた。
「わかってる」私はできるだけ明るく返す。

 動員された誰もが、ちょっとお手伝いをするぐらいで、ちょっとした暇に勉強はできると信じていた。だから、文房具を荷物に入れて、持っていった。普段勉強なんて嫌いだと言っている幸子でさえ、このときばかりは文房具を荷物につめた。いつなんどきも、身だしなみを整える事は、ひめゆりの学徒として当り前のことだったから、櫛などの日用品も持っていった。幸子はお気に入りの小説を持っていこうかと最後まで悩んでいた。結局、重いし、読んでいる場合ではないからという理由で、持っていくのは止めたようだった。
 ちゃんと無事帰ってきてこようね。そしたら康成かしたげるから、と幸子は誰にも内緒で言った。そして私たちはお互いのハンカチーフを取替えっこした。これお守り、絶対なくしたらあかんよ。私たちずっと友達だからね。分かってる。その台詞、私のほうが早く言ったし。口には出してないけどネ。


 配備された場所は土の中だった。建物はない。自然にできている、あるいは、土を掘り返して作った簡単な穴倉だった。すぐに泥だらけになる。名誉の汚れ、とか言って笑い飛ばす程度ではすまなかった。あれ、名誉の汚れと言って笑っていた頃はいつだっけ。ずっとずっと昔のような気がするけど。着替えても着替えてもすぐに泥だらけになる。それでも、ひめゆりの生徒たるものは、と泥のついた着替えを少し乾かして着る。穴の外ではひっきりなしに銃声が響いていた。燃える音。ごうごうと燃える音。燃やし尽くされていく音。夜になっても朝になってももう一度夜になっても音は鳴り止まなかった。波の音なんて聞こえやしない。負傷した兵隊さんが次から次へと、やってくる。私たちは兵隊さんを泥だらけのベットの上で、泥だらけの包帯で手当てして、手当てしてに明け暮れて、そのうち眠る間もなくなっていく。食べるものも水もなくなっていく。水を汲みにいくのは危険な外を歩かなければならなかった。怒声、蛆の這う音、何がなんだか分からなくなる。眠気など全く起こらない。爆発音。夜などない、昼でも壕の中には太陽の光など届かない。
 そして、ろ組で水泳が上手な米子さんが、ひめゆり最初の犠牲者となる。泣いた。みなが泣いていた。感情は伝染する。兵隊さんだって、泣いてくれた。全員が全員ではないけれど。
 二人目、三人目、先生方も、そのうち、誰かが死んでも悲しくなくなった。次は自分だ。次は。やはり感情は伝染する。人間は醜い、いや素晴らしい、死に慣れてしまったんだ。いや、悲しかったが、悲しんでいる暇などなくなってしまったということもある。何せ次から次へと重症の兵隊さんが運ばれてくる。水をくれ、水をくれ、痛い、学生さん、俺を殺してくれ、いっそのこと俺を殺してくれ。この痛みがお前にわかるものか。いつしか、死はそのうち当然のようにやってくるものとして、受け入れることができるようになる。死に対する恐怖はだんだんと薄くなっていく。その機会が早く訪れるように願うこともあった。長く生きているだけつらい思いをする。人のことなど、だんだんどうでもよくなっていく。時間が流れるの感覚がなくなっていく。


「解散命令」が出される。「君たちは今日まで良く頑張ってくれた。今日からは自分の判断で行動するように」と、敵の前に放り出される事となる。自分の判断って?誰も何もできない。私は途方に暮れた。実質死ねと言われているようなものだ。まだ銃声が響いていたし、誰がどこにいるのかもわからない。隣の壕に誰がいるのか、誰がすでに死んでしまったのか。もう情報も何も流れてこない。いちいち把握している暇はなかった。水が飲みたい。なぜこんなにものどが渇くのだろう。もっともっと飲んでおけばよかった。排泄物の、腐った死体の、泥の、とかあまりなじみのない匂いは、潮の匂いだけじゃ覆い隠せない。もう、感覚が麻痺している。麻痺しない子はとうに死んでしまった。麻痺していなかったらこんなところで耐えられる訳がない。手榴弾で自ら命を絶った。ただ、私はひたすら、もう一度幸子に会いたい一心で、必死にしがみついた。変な話、家族よりも幸子だった。ほかに何も考えなかった。もしかしたら幸子も同じことを考えているのかもしれない。そう考える事が私の生きる理由となった。

やがて夜は明ける。同じように太陽は狭くちっぽけな島を照らす。温めて、すぐに暑くなる。汗が滴り落ちる、ぽたぽたと泥を湿らす。ああ、私はまだ、生きている。ふらふらと歩いていく、どこに?私はいったいどこに向かえばいいのでしょう。目の前に影。白い。誰?幸子?ガンジー?ねえ、返事してよ。ガンジーでしょ。あたしと、また、康成の、万年雪の話をしようよ。ねえ、幸子。


 泥まみれになって転がっている幸子の眼鏡を拾って私は、交換したハンカチーフでそっと包む。そして私の鞄の奥の奥に、絶対になくさないようにそれを沈めておくのです。太陽も届かない私の鞄の奥の奥は、きっと万年雪の底ぐらい冷たいはずだし。



我に返る。
いつの間にやら老婆のまわりに人はいない。目が合う。老婆は何かをわたしに語りかけようとしている。胸が高鳴っている。苦しくて、わたしは怖くなって逃出す。今にも甦ってくるんだ。夢じゃない。わたしには受け止めるだけの体勢がなっていなかった。彼女はきっと話しても話しても話したりないんだ。今、頭の中を巡った事は、もちろん私の想像で、ディテールは知らない。でも、もしかしたらこういう女の子が戦場にいたのかもしれない。わたしの知らない沖縄の方言でこんなふうにおしゃべりしていたのかもしれない。

わたしは戦争を知らないし、完全に平和ボケであって、戦争の脅威など微塵も感じない。そんな奴が想像で好き勝手に書きやがって、実際は、そんな生易しいもんじゃない、と怒り出す人がいるかもしれないけど、でも、わたしはこの話を一人でも多くの人に読んでもらいたいと思った。こんな事があったかもしれないということを知ってもらいたいと思った。

外に出るころには、鼓動は落ち着いている。とたんに日差しが照りつける。ああ、万年雪に触りたいなア。祈念記の前、あいかわらずの修学旅行生のシャッター音にどきりとなる。

壕がまた、口を広げる、気がしたんだ。
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